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500万円で9年間世界一周の旅、幸せ配達人スマイリーのぶさんがやってきた!


今年の正月のことだった。
亀時間の電話のベルが鳴り、受話器を取ると
「初めまして、旅人ののぶと申します」と、
ハキハキとした男性の大きな声が聞こえて来た。
自称「旅人」とは随分熱いなあ、というのが第一印象。
電話を受けた数日後、のぶさんが来亀。
話してみると、予想以上に熱い人だった。

1996年4月、28歳で日本を旅立ち、
仕事をして貯めた500万円で9年間も旅を続けて、
2004年10月に37歳で帰国したという筋金入りの旅人。
お互いの旅について話してみると、
アジア横断ルート、アフリカ等、僕の旅した国と被っていたし、
日本を離れていた時期も重なるのだが、実際に旅先で会うことはなかった。
その夜は尽きることの無い旅話に花を咲かせて、
楽しい時間を過ごさせていただいた。
翌日、彼がチェックアウトした後、何気なしに宿帳を見てみると、
彼からのメッセージが1ページに渡って記されていた。
それを見てピンと来た。
この人、会ったのは初めてだけど知っている!

世界のゲストハウスに置いてある宿帳には、
無数の旅人によって書かれた、旅にまつわる最新情報が書き込んであることが多い。
よってその宿帳はバックパッカーの間では、通称「情報ノート」と呼ばれている。

そこには隣国ビザの取得方法から、おすすめの宿、避けるべき宿、
美味しいお店、旅をしにくい僻地、情勢が変わりやすい国の最新動向まで、
非常に有用な情報がそういったノートに日本語で記されていた。
旅人にとって現地で入手した最新情報ほどありがたいものはないのである。

旅人の中にはあちこちの国の宿の情報ノートに書き込む常連がいた。
そういう人は自然と、旅人の間ではちょっとした有名人になっていった。
中には自ら現地を歩き、正確かつ精密な地図を作製して
それを惜しげも無く共有してくれる奇特な旅人がいたり、
情報は少ないが面白いことばっかり書いている人もいた。

「幸せ配達人NOBU」もそんな有名人の1人。
僕が旅の途上で訪れたアジアやアフリカのあちらこちらの
情報ノートに「幸せ配達人NOBU」のページがあった。
カラフルに書かれたその体裁により、一度見たら忘れない。
人生の格言が必ず記されているのが特徴。
それと全く同じページが亀時間にも残されていたのだ。

今回、二度目の亀時間来訪時に彼の旅人生について、
貴重なお話を伺うことができた。
最近は日本人の若者が内向きになって、
旅に出る人たちが少なくなったと言われている。
旅に出たいけど、迷っているような人たちに、
是非読んでもらいたい。
ヤケドしないように注意!
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そもそも旅を始めたきっかけから伺ってもいいですか?

「少年の頃から何となく漠然と”世界一周したい!!”という大きな夢がありました。
トムソーヤーの冒険みたいな憧れだったんでしょうね。」

最初の旅はどちらへ?

「大学1年の夏休み、同じクラスに好きな女の子がいて、
その子に会いたくて金沢に行ったのが最初です。
でも直行せずに、東北を回ってから最後に金沢というルートで。
たまたま立ち寄ったんだよ、という風を装いたくて。」

随分と遠回りしましたね(笑)。で、恋の行方は?

「残念ながら思いは伝わりませんでしたね。五人で行ったんですけど、
みんな彼女のことが好きで。まあ、クラスのマドンナ的存在でしたから。」

あれ、一人旅では無かったんですか。
野郎五人の傷心旅行になってしまいましたね。
一人旅に目覚めたのはどういうきっかけですか?
また、初めての海外はどこでしたか?

「当時は80年代後半、バブルの頃でした。
ゲストハウスというのはまだ日本には無くて、
安宿と言えばユースホステルでした。
仙台に自宅を開放したようなユースがあって、
相部屋にみんなで布団を敷いて寝るスタイルでしたが、
ここでいろいろな面白い人達に会ったんですよ。
これなら一人旅でも寂しくないなあと思いました。

それまでは、常に友人と旅していたんですけど、
誰かと一緒だと好きなところに好きなように行けないこともありますから。
それ以来、1年の三分の二はアルバイト、
三分の一は旅という学生生活を送りました。
最初の海外は大学二年の時で、オーストラリアに友人と行きました。」

大学卒業後はどうしたんですか?

「将来自分の店を持ちたいという夢があったので、
商売を勉強しようと池袋の大手デパートに1991年に就職して、
婦人服売り場で5年間働きました。仕事はキツかったけど、
楽しいこと、楽しい思い出も一杯ありましたよ。
接客の仕事はやっぱり自分にピッタリだと思いますね。

年に二回8日ずつの長期(?)休暇があり、5年間で計11回ほど
海外一人旅を満喫しました。
でも時間の制約が壁になって、行き詰まってしまいまして。
当時、社内恋愛をしていて、この子と結婚するのかなあ、
なんて考えたこともあったのですが、
28歳、少年時代の夢にかけて旅立ちを決意しました。
5年間で500万円貯めたので。」

500万円はすごい金額ですね。

「そのお金を使って30歳まで1,2年旅に出ようと。
30までに戻ってくれば再就職もできるだろうと考えて。
その頃はちょうどバックパッカーが静かなブームになってきていて、
蔵前仁一さんとか、下川裕治さんらが注目を集めていました。」

どちらから旅を始めたんですか?

「祖国日本から台湾、フィリピン、東南アジア、アフリカ、
北米、中米、南米、オセアニア、南太平洋の島々、アジア横断、
そして最後にユーラシア大陸横断です。」

中国・万里の長城にて

メコン川沿いでラオスの子供たちと

中米グァテマラの民族衣装を売るファミリアと

南米ペルーの空中都市マチュピチュにて

南米イグアスの滝(アルゼンチン)にて

どこの国が印象に残っていますか?

「よくみんなから聞かれる質問ですね(笑)。
結論から言えば、住めば都。郷に入れば郷に従え。
世界中どこでもパラダイスですよ(笑)。
それぞれの国にそれぞれの良さ、素晴らしさがある。

スマイリーの個人的な意見としては、
住んでみて一番居心地が良かったのが、ニュージーランド南島の
クイーンズタウンというリゾート地。

クイーンズタウンにて、ワーキングホリデー時代でサンタに変身

クイーンズタウンのスキーリゾートにて

女性の美しさでは南米ベネズエラ。
食べ物が一番美味しかったのは台湾と韓国。
ビールが一番旨かったのがチェコ。
街並みの美しさではヨーロッパ。
人間のノリの良さ、明るさ、楽しさではラテンアメリカ
(メキシコ、中南米)かな。
いろんな意味で一番笑わせてくれたのがダントツでインド(笑)。
景観の美しさではカナディアンロッキーや南米のウユニ塩湖。

南米ウユニ塩湖(ボリビア)にて

そしてチベットも感動したなあ。

雲上の国チベットにて

アフリカのワイルドな自然もグッド。

サハラ砂漠横断の途上にて(モーリタニア)

ビクトリア・フォールズ(ジンバブエ)

人々は基本的にどの国もみんな親切だったですねえ。
何度も何度も数えきれない程、助けて頂きましたよ。
世界中で出会った皆さんのお陰で、
”世界一周”という大きな夢を実現できました。
本当にありがとうございます。

あっ、そうそう!!祖国日本を代表して沖縄こそ世界最高のパラダイスだと思いますよ。
沖縄最高☆☆☆☆☆(笑)。

また旅の手段としてはアジア横断やユーラシア大陸横断など、
船や列車、バス、乗り合いタクシーなどを乗継ぎ、
時にはヒッチハイクで、時間をかけて
ジリジリと移動していく旅こそ究極の贅沢かもしれませんね。
やはり時間に余裕がないと出来ませんからね。」

ネパール、アンナプルナベースキャンプにて

イエメンの首都サナア旧市街にて

1,2年で帰るつもりが長くなってしまった理由は?

「旅先で会う人、会う人に世界中の素晴らしい場所を薦められるんですよ。
『のぶ、アフリカに行かなきゃだめだ、人類の祖先が生まれた場所だからな!』
『のぶ、やっぱり”女の南米”だよ!南米行って世界一キレイな!?
おねえちゃんたちと遊ばなかったら男じゃねえぞ!!一生後悔するぞ!!』とかね。
あっちもいいであっちに行き、こっちもいいでこっちに行きを
繰り返しているうちにノンストップ・トレインになってしまいました。
もうお金が無くなるまで旅しようと。

働かずに9年間も旅を続けたのですか?

「旅の間に、ニュージーランドでのワーキングホリデーを1年やりました。
あとは、イスラエルで日雇い労働やったり、
自分で商売を興してビーチやストリートでマッサージ(指圧)もやりましたね。
そうそう、出張マッサージにも沢山行きました。
お客さんに食事やお酒までご馳走になったり、
みんなで歌を歌ったり、楽しかったねえ。大きな大きな青春の一ページ。
テルアビブ(イスラエルの首都)の夏のビーチって
世界最高の美女が集まってくるんですよね(笑)。
2ヶ月で3000USドル以上稼ぎました。
そのうち半分は遊んで使っちゃいましたけど。
また、トルコのイスタンブールでは
二軒の小さなペンションの管理人を半年以上やりました。」

2ヶ月で3000ドルも稼ぐとは凄い!
ところで世界を旅していると、日本ではまずお目にかかれないような
面白い人達に出会えますよね。

「そうですね。イスタンブールで管理人をやっていたとき、シルクロードから
走ってきたおじさんに出会いました。毎日平均40キロから50キロ走るそうです。
あとは30年近く旅を続けていて世界中にワイフがいるというおじさんもいましたね。」

♪友達100人作るんだ♪じゃなくて♪奥さん100人作るんだ♪ですね。
男の見果てぬ夢の実現、スケールがでかいなあ!
ところで、旅の終わりはどうやって決めたんですか?

「旅の中で自分のやりたいことを全部やれたからです。
人生で旅ほど楽しいものはない。
旅の中で出会ったすべての人々に心から感謝!!

旅を続けている中で、沢山の家族と出会い、彼らの絆の強さに打ちのめされました。
そして、自分も生きているうちに親孝行していきたいと強く思い始めたのです。
だから旅のゴールは自分の祖国、日本の生まれ育った川越の実家に決めたんです。
自分の祖国に帰ってふるさとで家族揃って、もう一度ひっそりと暮らしてみたい・・・。
結局巡り巡って自分の原点に戻ってきたんですよね。最高に幸せな男ですね(笑)。」

再就職への不安はありませんでしたか?

「そりゃーメチャメチャありましたよー(笑)。
再就職、結婚、子育て・・・。
でも人間、誰しも日々不安と闘って生きている。
苦しみや悲しみ、弱虫をみんなみんな背負って生きている。

だけどスマイリーは少年の頃からの大きな夢を叶えることが出来ただけでも
最高の幸せ者。

そして旅の途中、インドのコルカタにあるマザー(テレサ)ハウスでの
ボランティア体験が自分の人生に大きな大きな影響を与えてくれましたね。

「死を待つ人の家」をはじめ、「障害者や孤児の家」など3ヶ月あまり、
ボランティアをさせていただいた時間が、
自分の人生の中で10年分以上の大きな価値ある体験になったからです。

インド・コルカタ、マザーハウスでのボランティア生活


マザーハウスで介護というものに出会い、興味、関心を持ち、祖国日本に戻り、
ふるさと川越で介護の仕事にチャレンジしてみようと決心したのです。
まあ、仕事を選んでいる余裕も無かったですけどね・・・。

何とか介護福祉士の国家資格までは取得出来たので、
今後も精進して仕事の中に、日々の生活の中に、
そして地域での暮らしの中に世界中で体験したことを
活かしていきたいと思います。」

世界中の情報ノートにメッセージを書いていますよね?

「旅の最大の魅力は出会い、触れ合い、語り合いだと気づきました。
だから旅人同士の出会いの場である『宿』がとても重要なんです。
宿は旅人の心を癒す場所です。
だから情報ノートに魂の底から沸き出てくる言葉を書き綴っているんです。
世界中の人達に親切にされたので、それをお返ししたいのです。」

最近円高なのに、若い人達が海外へ旅に出ないとよく耳にするんですが、
最後に旅に出たいけど迷っている人達に何かアドバイスをいただけますか?

「尊敬するアントニオ猪木さんの言葉を送ります。
『迷わず行けよ、行けば分かるさ』
20代に失敗なんて無いんですよ。そして人生にも失敗はありません。
失敗だと思ったことも、後から振り返ると今の自分にとって
プラスだと気づいたりするんです。

実は南米のペルーで白昼堂々3人組の首絞め強盗に襲われ、総被害額何と30万円!
とても落ち込みましたが、捨てる神あれば拾う神ありです。
心暖かいペルー人ファミリアに助けられ、九死に一生を得ました。

ペルーで大変お世話になったファミリア


痛い思いをしましたが、今思えば貴重な体験でした。
この時、人生はギブ&テイクであり、
生きているのではなく生かされているのだということに気づきました。
それまでの自分は自己中心的でしたが、
周りの人達に感謝することを学んだんです。
ちなみに今でもこの素晴らしきペルー人ファミリアとは繋がっています。

仕事を辞めるなんてちっぽけなことなんです。
世界の貧困地帯を自分の足で歩き、目の当たりにしてきました。
日本はまだまだ安心安全で平和な素晴らしい国です。
仕事だって選ばなければ、何とか生きていける実に恵まれすぎている社会です。

そして日本の良さ、素晴らしさって、海外に出てみなければ絶対に分かりません。
日本の文化や伝統の素晴らしさ、誠実で人一倍勤勉な国民性。
日本人の溢れる優しさとホスピタリティ、侘び寂び、そして治安の良さ。
数え上げたらキリがありませんね(笑)。
日本の未来には大きな夢と希望を持ってますよ!!

世界一周の旅の途中でたまに日本に帰ってくると、
地元の人たちから、
『のぶちゃん、あっちこっちにふらふらしていて大丈夫?
うちの息子はもう結婚して子供も出来たのよ。』と
まるで人生の落伍者みたいな言われようでした。
でも外国人に『僕は仕事を辞めて、好きなだけ旅をするんだ。』と
言うと、逆にみんな『おめでとう!』と讃えてくれましたよ。

世界一周なんて誰にでもできますよ。
旅を楽しむための資金と時間とほんのちょっとだけの勇気があれば大丈夫。
語学が苦手なスマイリーにも500%旅を楽しめましたからね(笑)。
人生は短い!!チャレンジしないと一生後悔しますから。
そして人生楽しんだものが勝ちです。気合いれて目一杯楽しみましょう!(笑)」

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彼はとてもポジティブなエネルギーが満ちあふれており、
出会う人にそれを惜しみなく分け与えてくれる。
「こんにちは」の挨拶、「ありがとう」の言葉を、
返事を期待せずに発し続けることが出来る人なのだ。

誰でもちょっと旅すれば様々な気付きがある。
その気づきと共にその後の人生を歩みたいと思っても、
いざ日本に帰ると、浮かれた気持ちに冷水を浴びせる現実を前に、
旅する前の自分に戻ってしまう人の何と多いことか。
彼が旅人を自称するとき、旅で得た気付きと共に生きていることを
暗に示しているのだ。

ノブさんは旅で得た学びを少しでも多くの人に伝えたいという気持ちが溢れており、
「仲間こそ人生最高の宝物」
「お金持ちよりも時間持ちになろう」
「人と人とが出会い、共感し合い、そして展開していく」などなど、
名言、格言のようなフレーズがポンポン飛び出してくる。

ノブさんの励ましメッセージを「余計なお世話だよ。」と一瞥する人も多いかも
しれない。でも頼る人もいない孤独な異国の旅先で、
彼の言葉に励まされた人もそれ以上に多いに違いない。

口先だけポジティブな人なら幾らでもいる。
でもそれを体現するとなると、そんなに世の中甘くはない。
ノブさんには、良かれと思ったことを実現してしまう実行力がある。

前述のように、彼は現在故郷川越の老人ホームにて介護の仕事をしている。
働き始めた頃、入所者は一斉に起床、一斉に食事、一斉にトイレと
いうシステムに組み込まれていた。人間にはそれぞれの生活のリズムが
あるじゃないか、こんなの人間らしくないじゃないか!とノブさんは異議を唱えた。
反対する職員にも屈することなく、個別介護の実施へと変化を起こしたのだ。
入所者にとってこんなにありがたいことはないだろう。

受け取るだけでなく、自ら与えること、伝えていくことが大事だと、
現在も幸せ配達人としてあちこちのゲストハウスに出没中。
最近は長野安曇野の地球宿に行くことが多いそうだ。
この宿では「ドリカム新年会」と称して子供から大人まで
一日がかりでそれぞれの夢を一人づつ語るというイベントを
開催しており、それがとても楽しいのだという。

インタビューの後、4人で夕食を食べたのだが、
「夢を語りましょう、夢は言葉に出すと実現する可能性が高まるんですよ!」
とのぶさんがいきなり切り出し、今年実現したい夢の話になった。

のぶさんの目前に迫った夢はなんと!
「NHKのど自慢」に”小江戸川越の母”と呼ばれる最高に素敵な女性と
”川越最強タッグ”を組んで出場して、「上を向いて歩こう」を唄うだった!
今週末、川越から生中継が予定されている。
まだ予選も始まっていないので出場できるかは不明とのことだが、
全国に彼の熱いメッセージが届けられたら、何と素晴しいことだろう。
4/15日曜12時15分、国営放送にチューンイン!

最後にさり気なく付け加えられたのぶさんのもう一つの今年の夢は
「パートナーを見つける」だった!
旅の最中に将来を約束した相手もいたのだが、
残念ながら成就せず現在シングル。
なかなかインタビューで突っ込めなかった部分だったが、
まだ諦めていないことを知って安心しました。
熱い男性が好きなひといませんかー?
興味ある方は亀時間「のぶさんに会ってみたい係」までメール下さい。



<MASA>

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