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黒潮が繋いだ鎌倉とハイダグワイ島の物語

小さなガラス球を携えたカナダ人

先週の土曜日午後、亀時間にドミトリー当日予約の電話が入った。
流暢な日本語で話しているが、宿泊者の名前は「マイケル何某」。
夕方現れたのは、飄々とした雰囲気を醸し出す若い長身のカナダ人で、
大した荷物も持たず、服もヨレヨレのTシャツとサンダルで、
普段着のままという風情。
失礼を承知で言えば貧乏バックパッカー風。
海外のゲストハウスでよく見るタイプだ。

亀時間はまだオープンしたばかりであまり知られていないので、
どうやって知ったのか尋ねた。
彼は鎌倉の海に近い安宿に行きたいと尋ねたら教えられたとのこと。
どうやら先程の電話の主は亀時間のことを知っていた親切な日本人だったらしい。
チェックインもそこそこに、彼はリュックから手のひらサイズで
緑色のガラス球を大事に取り出すと、
風変わりな旅のいきさつを語り始めた・・・。

日本から時空を超えて辿り着いたガラス球

彼が住んでいるのは、アラスカに程近いカナダのハイダグワイ
という聞いたこともない島。
北太平洋を大きな弧を描き、日本からカナダまで
ぐるっと廻っている海流があって、
その島には多くの漂着物が海岸に打ち上げられるそうだ。
ゴミも当然沢山ある訳だが、
昔の日本で漁師が網を浮かせるのに使っていたガラス球を、
彼は偶然見つけた。
今ではプラスチックにとって代わり、使われなくなった
ガラスの浮き球は、何十年も前に日本人漁師の手を離れて、
太平洋をずっと漂いつづけ、
先日、やっとカナダの島のゲストハウスで働く青年の手の中に
たどり着いたのだった。

彼はそれをわざわざ漁師に返しに来る為だけに日本に来た。
初めての訪日で、滞在予定はたったの4泊5日。
初日は浅草に泊まり、翌日午前中築地市場に行き、
ガラス球を返したいと話をしたところ、
鎌倉に行けば漁師に会えるんじゃないのかと教えられたという。

彼の目的を馬鹿らしいと思うか、面白いと思うかは人それぞれ
かもしれない。僕は彼の想いに共感して、
漁師にこの球を手渡したいという希望を実現させてあげたかった。

日本人漁師との出会い

亀時間のホームページを担当してもらっている旅音氏
http://www.tabioto.com/は地元育ちなので、
漁師の知り合いがいると話していたのを思い出した。
電話をかけて相談すると、彼も興味を持ってくれて、
すぐに受け渡しの儀式をセットアップしてくれた。

翌日、鎌倉は心地よい春日和で最高の快晴。
この季節には珍しく西の空に富士山がくっきりと見えた。
マイケルをバイクの後ろに乗せて、旅音氏と共に材木座の隣町、逗子小坪へ。
漁港に行くと想像よりも若い、僕と同じ世代の漁師が小屋の前で天草を干していた。


彼の名は植原和馬さん。
ファッションデザイナーから漁師に転向したというユニークな人だ。
元デザイナーというだけあって、友人が建てたという漁師小屋が
最高に格好良い。

彼は笑顔で僕たちを迎えてくれたが、少し不安になった。
マイケルは可能ならば、ガラスの浮き球を使っていたであろう
長老の漁師に自分の見つけた球を手渡すことを願っていた。
英語を話さない老人漁師に彼の話を伝える自分の姿を想像して、
果たして彼の旅の意味を理解してもらえるかと、
不安を抱いていたのだったが、今は別の心配へと変わった。
マイケルは期待していた老人ではなく、若者との面会に
面食らっているのではないだろうかと。

しかしながら、その不安も一瞬で吹き飛んだ。
植原さんは流暢な英語で、カナダに留学していたことが
あることを伝え、お互いにサーファーであることも判明、
すっかり意気投合してしまったのだった。
むしろ植原さんに会うべくしてやってきたような雰囲気だった。
太平洋を越えたガラス球の返還儀式も無事終了。


用済みとなった僕らは安堵して、二人を残しその場を立ち去った。

翌日の早朝、植原さんはマイケルを漁に連れて行き、
マイケルはお土産にサザエをもらってきた。
その獲れたてサザエと彼がハイダグワイから持ってきた
天然岩海苔を材料に贅沢な味噌汁を作り、
マイケルが別の親切な誰かから頂戴したという、
もんざ丸の釜揚げシラスをおかずにして一緒に昼食をとった。

星野道夫の「旅をする木」

亀時間の縁側に腰掛けて、四方山話。
彼は太平洋の海流に興味を持っていて、
「日本近海には親潮と黒潮がぶつかる場所があって、
そこは良い漁場となっているんだよね」
などと、日本人しか知らないようなことを話しかけてくる。
彼自身、酵母を育ててサワードウブレッドを焼くそうだが、
親潮にちなんで自分のパンを「Oya」と名付けたという。

よくよく彼と話をしていたら彼の住む島、
ハイダグワイという名前はハイダ族というそこに住む
先住民族にちなんでいることを教えてくれた。
ハイダグワイには覚えが無かったが、ハイダ族の名前で
星野道夫の本「旅をする木」を思い出した。

記憶が確かならこの本には、ハイダ族の立てたトーテムポールを
星野氏が訪ねる話があったはず。
彼が訪ねた島はもしかしたらハイダグワイだったのかもしれない。

今回の旅はセレンディピティに導かれたものだったと
マイケルは話してくれた。
セレンディピティとはウィキペディアの定義によれば、
「ふとした偶然をきっかけに閃きを得、幸運を掴み取る能力のこと」
とある。シンクロニシティ(共時性)と近似の意味だろうか。
旅をしていると、偶然が必然的に次々と起こり、
思ってもいないような素敵な人との出会いや貴重な体験に
巡り合うことがある。
彼もそのような流れに導かれて亀時間に辿り着いたのだった。
素敵な出会い、のんびりとした鎌倉での2泊の滞在を満喫して、
彼はカナダへと帰っていった。

黒潮が繋ぐ太平洋のこちら側と向こう側

マイケルの訪問が自分にとって持つ意味について
深く理解したのは彼が去ったあとだった。
気になって、自宅に帰ってから本棚に眠っていた星野道夫の
「旅をする木」を読み返して驚いた。
ハイダグワイ島は日本では、クイーンシャーロット島と
ヨーロッパ名称で呼ばれており、
本の中でもクイーンシャーロット島と記述されていたので、
マイケルの話にピンと来なかったのだった。
ハイダグワイはやはり星野道夫が訪ねた島だったのだ。

その本の一編である「海流」というタイトルのエッセイには、
まさに北太平洋を西から東へと流れる黒潮の海流が日本とアラスカ、
カナダまでを繋いでいることを豊富なエピソードで記していた。

江戸時代に黒潮に乗って漂流した船、長者丸が、
アメリカ漁船に助けられて、
アラスカやハワイを経由して日本に戻った話。

アラスカの海岸線の人々はビーチコーミングをするひとが多く、
日本からの漂着物であるガラスの浮き球は特に貴重で、
星野道夫が何度も自慢げに現地の人々からそれらを見せられたこと。

そしてハイダ族はその昔、黒潮に乗って海を渡ってやってきた
海洋民族の末裔であると、口承伝説が語っていること。

太古の昔に、スターナビゲーションで自由に
太平洋を行き来していた海洋民族がいた。
その血が太平洋の西端に住む自分にも流れていること、
そしての遥か向こう側の太平洋東端である
アラスカ、アメリカ西海岸にも
同じ血を分けた人々が住んでいること。
その遥か昔の記憶を再び思い出させてくれたのがマイケルだった。

ちなみに、龍村仁監督の著作「魂の旅―地球交響曲第三番」

にも星野道夫の話の続きとも言うべき、
彼とクリンギットインディアンとの係わり合いについて
セレンディピティに導かれる興味深い話が収められているので、
一読をお勧めしたい。

ガラス球が日本からハイダグワイ島に漂着した。
マイケルもハイダグワイ島から鎌倉に漂着した。
太平洋を巡る海流が繋ぐもう一つの物語。

マイケルはハイダグワイのコッパービーチゲストハウスで働いている。
もしこの島に行く人は訪ねてみるといいだろう。
暖かく迎えてくれるはずだ。
http://www.copperbeechhouse.com/

僕たちはみんなが自分だけの物語を生きている。
ゲストハウスに滞在する醍醐味の一つは、
日頃は心の奥底にしまっていて話さないような、
それぞれの人生の物語を語ったり聞いたりできることだ。

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